ヘアーサロンタケダのヒストリー


オーナーです!

いつも色んな事にチャレンジしてます!  
トカチャンです。

お店の手伝いをしています。  

当店は、厚生大臣認可、標準営業約款登録店です。

また、全理連加盟店でもあります。

*1900年より、この地で営業を、続けております。

これも皆様のご愛顧のおかげです。

令和2年4月撮影

こうして見ると、だんだんと店の外観も雰囲気も変わってきていますね。

長い歴史を、感じております。

平成10年11月撮影

私が仕事を始めて、3年目に改装しました。(昭和56年頃です。)

レンガ調に仕上げています。

この時にヘアーサロンタケダと呼ぶようになりました。
カット椅子4台です。

エアコンは、壁に掛けていました。
カット椅子の後ろ面です。

タオルや、整髪料等を収納していました。
客待ちです。

椅子が5客ありました。

中央少し左上あたりに、

お客様の写真を一杯貼ってました。

昭和46年8月撮影

私の小さい頃のお店です。

店の床は、青色と白色の小さなタイルが貼ってありました。

理容武田の看板がよく目立ってました。

昭和35年8月30日

台風16号が来て、猪名川が氾濫し、当店も水害に遭いました。

丁度私が、生まれた年です。

まだ、一庫ダムもなかった頃の

貴重な写真です。

看板も「理容武田」でした。
当店が左端にみえます。

ここの通りは、昔はとても賑わっていたそうです。

今は、静かですが・・・。

隣は、お菓子やさん、風呂屋さん、前には、靴屋さん、
電気屋さん、うどん屋さん、パチンコ屋等、
たくさんのお店が並んでいました。

今は、側の交差点から、タバコ屋さん、当店と、
静かな町並みになっています。
は、皆さんのために
パンを、配っておられます。

は、当店に勤めていた若い衆です。

洪水のため、店から
道路を、眺めています。

の後の掃除は、
大変だったようです。
昭和35年の絹延橋駅です。

台風の洪水により線路も完全に見えません。

中央付近に見えますのが、当時の能勢電鉄の車庫です。

小さい頃は、この車庫も使用されていませんでしたので、

その跡地で、よく遊びました。

枕木や、線路が置いてありました。
昭和33年頃の、絹延橋駅です。
右奥に、車庫が見えます。

私の、記憶には、あまり残っていませんが、

この車庫跡で、よく遊びました。
平成21年、現在の絹延橋駅です。

すぐ横に市営住宅が建っています。

昔は、1両の電車でした。

今は、立派な駅になり、

単線から複線に変わっています。
絹延橋駅の北側に、車庫がありました。

この跡地で遊んでいる時に、地上から、
60cmほどの高さの所に並べてあった、電車のレールが
私の足の上に落ちて、大怪我をしました。

小さい頃だったので、後遺症はなかったように思います。

昭和34年1月

店の前で撮影

左より、故武田清吉、故武田豊司、神田氏、故山根氏、陣野氏。

当時の従業員さんたちです。皆さんあの頃は、若かったです。

私の生まれる前の年です。

懐かしい当時の当店の正面です。

もっとも私は、覚えていませんが・・・。

「武田理容所」でした。

昭和13年頃 道路はまだ地道です。

まだ、川西町小戸第五町内会の頃です。

この写真は、町内の子供達が皆集まってラジオ体操を、
しているところだと聞いています。

左上のほうに白い丸い物が見えますか?
これが当店のサインポールです。
物干しに付けてあったようです。

まだ、私は、生まれていません。


昭和7年頃の当店前です。

かなり古い感じです。

明治時代からの、入口のようです。

残っている写真の中では、これが1番古い当店の写真です。

(創業明治33年)

  • 初代   武田 浅吉 「床浅」 (前列中央)
  • 二代目  武田 清吉 「床清」(右から2番目)
  • 三代目  武田 豊司 「武田理容所」(右端)
  • 四代目  武田 嘉代司 「ヘアーサロンタケダ」
  • 昭和14年頃の貴重な写真です。左端は、父の姉です。
  • 左から2番目は、私の祖母です。
  • 中央は初代、右から2番目は2代目、右端は3代目の父の小さな頃です。

古くから営業しておりますが、新しい技術も取り入れております。

←明治時代に、使っていた。両手バリカンです。

これからも、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

メニューへ